仕事、旅、援助を通してインドネシアの生活を楽しんでいます。
プロフィール
|
カレンダー
QRコード
|
|
最新の記事
最新のコメント
最新のトラックバック
|
|
RSS / Atom
記事カテゴリ
リンク集
検索
フリースペース
フリースペース2
フリースペース3
カウンター
| ||||||
ログイン
スタッフ通信
|
2010/07/05 11:35
スポンサーサイト
2010/07/05 11:35
斜めからインドネシアを眺めよう 656
3日、再びグロドックへ買い物に行ってきた。スリーインワンが10:00までなので、その時間を過ぎてKotaへ入った。買い物を6種類しなければならなかった。まず、ヤードメーターという呼び方をする、距離計です。前もって、売っている店の名前と番地と電話番号を確認してあったので、直接その店へ行った。直ぐ、準備してくれた。
そこで、次に買うつもりだったOリングはどこに売っているか尋ねたら、取ってきてやるよ、サイズは?と言われた。お願いした。ついでだからと思って、買い物予定の全て、マグネットスタンドは?ダイヤルノギスは?ハンディーの糸鋸は?赤外線温度計測機は?規格やサイズ、メーカー名が分かっている物は、全部、集めてくれた。聞きながら歩いて回らなくて済んでしまった。バキュームポンポンプ(3馬力)だけは、別の建物へ行かなければ手に入らないから、と、その店の名刺を渡してくれた。LTCの中だった。訪ねて行ってみると、在庫は店にはなかった月曜日に新ためて電話し、見積もりをしてもらうことにした。金額は13万円×3で45万円くらいを目標にしている。買い物は1時間くらいで済ませた。
横道、それぞれの価格が高いか安いかは比較しなかったので判断できない。インターネットなどで時間を掛けて調べれば、もっと安いものがあるのに、と、言う人が必ずいる。そういう人は、価格のチェックだけが生きがいの人で、それを使って何かをする人ではないので、急ぎとか、ちょっとした、性能の違いとか、使いやすさなどは、無視して、話をしてくる人で、扱いにくい、面倒な人です。
そのLTCの5階のフードコートでゆっくり昼食を取ることができた。殆ど全てが中華料理の店、窓口が2メートルほどの前で、売り子がメニューを差し出しながら、大きな声で呼びこんでいる。その中に奇妙な店が在って日本食風であった。日本語が目に入った。私は中華料理店のミーゴレンを食べた。
翻って、今度は、ジャティルフールを目指すことにした。MM2100のサービスアパートで14:00に一人ピックアップして一緒に行く約束になっていた。13:00にグロドックを出たが、ジャカルタ北部で思いがけない道路工事に遭遇したり、ジャカルターチカンペック高速道のブカシチムール辺りからの渋滞に巻き込まれたりして、結局15:00にピックアップし、東へ向かった。私に住処を通り過ぎ、チカンペックの手前からバンドゥン方面に向かい二つ目のインター、ジャティルフールで降りて、目的の人口湖に着いたのが16:00、早速、堤防の上を車で走って放水ダムまで行こうと入口へ行ったら、今日は霧が多いし、間もなく、風邪が吹き始め雨になるので、入場は出来ないと言われてしまった。現在はそれほどでもないので、食い下がったが、許可は下りなかった、遮断機を上げてもらうことはできなかった。食い下がって理由を聞いたら、突風に煽られて一人ダムへ落ちて亡くなったという事件があって以来、警戒をしているのだそうでした。
今度は、ボートで沖の筏で淡水魚を養殖している場所の見学をしながらそこのレストランで魚料理を食べようと湖のほとりへ向かった。頼んだら、今度は、やはり、先ほどと同じ理由で船は出せないし、筏のレストランも営業していないと言われた。
いずれも、お昼頃までなら、今日も、入場できたし沖の島めぐりも出来たそうで、明日の朝で直したらと言われてしまった。
放水ダムの向かい側にちょっと突き出ている半島があり、そこに、ホテルやレストランがあることを前から知っていたので、行ってみることにした。そこで、いきなり、なれなれしく話しかけてきた女性がいた。半島の先っぽへ行けばダムが近くに見えて、景色が菅らしいですよ、と言われた。行ってみるとなるほど天気が良ければさぞ素晴らしいだろうと思う場所だった。
戻って、そこのオープンテラスのようなところで、ポチテーとコピーヒタンを頼んで飲んでいたら、先ほどの女性がにこにこ笑いながら、私たちのテーブルの脇まで来て、景色はどうでしたか、魚の料理はどうですかと話掛けてきた。日本人ですか?とも聞いてきた。余りのなれなれしいので、あなたはどういう人ですかと聞いたら、ここの持ち主だと言う。話の中にはこのレストランホテルは1957年オープン、その時は、スカルノ大統領が来たとか、壁に猛獣(トラやヒョウ)の模様の岩が使われている、これも、スカルノの案だったとか、スハルトも何回かきたことがあるとか、次に、沖の筏の淡水魚養殖場やレストランも私の持ち物で、今日は昼過ぎから、閉めているから、今は行けないとか、その他にも、島をいくつか持っていて、アウトバウンドもあるので、社員レクレーションで来てください、名刺を渡しながら、私に直接話をしてもらえれば、ディスカウントしますよなど、と、話は尽きない。話を切るためにそこで食事をすることにし、ウェートレスを呼んでもらった。やっと、話は終わった。回りはもう真っ暗、湖の向こう岸の民家の明かりが美しく見えるようになっていた。
食べた魚はグラメのゴレン(唐揚げ)1kgとニラ500gを一匹ずつゴレンとバカール(丸焼き)でした、チャーカンクンと生野菜のセット、ナシとテーを追加した。写真の通りです。先ほどのコピーやポチテーを含めて、合計1400円(14万Rp)でした。安いですね。味も雰囲気も、一級品、三人で量も十分、十分堪能した。
MM2100のアパートへ日本からの出張者を送り、家に戻ったのが22:00ちょっと前でした。
インドネシア語を自由自在に話せて、色々な情報を得ることができたし、出張者にも、その威力と、インドネシア人の人柄と、インドネシアの味を楽しんでもらうことができた充実の一日でした。
自己満足 堪能 インドネシア語
2010/07/04 17:28
交通警察官が諸点が在っていない目つきで、自動的に手招きをしている、朝夕の交差点で見られる風景です。大体が、早く来い、早く行け、という合図である。それは、警官だけではない。街の至る所で、手招きをしているのを見ることができる。狭い道で交差する車やバイクは手まねきが必要なのです。バックする時、駐車する時、助手やセキュリティーが必ずやっている。私が運転しているときにも頼みもしないのに、そこらへんにいる人が、その役目をしてくれる。駐車場では、他の車の運転手が手伝ってくれる。全員がチップを期待している。
この手まねきの仕方が、私にとっては、お釜さんがおいでおいでと招いているように見える。警官の多くは、車や人を見ていないで、ただ、習慣で、手を振っているだけのように見える。だいたい、手まねきをしている警官の目と会ったことがない。いやいや、ブランぶらんと手を振っているだけに見える。
小さい子供もそれをまねる。車が来ると、手招きをする。勿論、その子たちが安全確認をして招いているわけではない。ただ、大人や親がやることを真似るだけである。
道の真ん中に立っていて運転手はいちいち、子供を避けて通過しなければならない。子供は得意になってやっている。おそらく、自分がやらせてもらっているという意識が在る
各交差点に警察官がいない時、近所に住む子供や若い者が交通整理をする。小遣い稼ぎだが、明らかにお前がそこに立っていると、邪魔だ。お前がいなければ、迷うこともなくお前を避けることもなく、スムーズに流れる、と言いたい場合も多い。また、今まで、若者がやっていたのに、帰りにそこへさしかかると、小学生がやっている。やっていた若者は直ぐ近くで座って休憩している。子供も躊躇しないで、同じように手まねきやストップの合図をしている。門前の小僧でしょう、しかし、どう見ても危ない、立ち位置が良くない、のでしょう。それで、彼にしてみれば、少なくないお遣い稼ぎになるのですから。物心がついたころから、身に付けたスタイルですから、自然体でしょう。
右折左折、Uターンの手伝いの料金は500Rpが相場です。それ以上やる必要は全くない。
普通はこういうところに置かないコンテナが置いてあった。渋滞の原になっている道路の強化工事。
手まねき 物まね 邪魔者
2010/07/03 08:18
昨日は、仕事中に日付が変わったことを知らなかった。一旦家に戻ってマンディをし、会社へ直ぐ戻った。06:30でした。頭がふらふらしていて、朝のブリーフィングも上の空、もうそろそろ終わりにしたい。
争うと言えば、踏切で、列車の通過と争うことです。日本人で、こういうことを知っている人は少ないでしょう。知っているからと言ってどうだ、と、言うこともないが。
貨車の上に乗ることを一種の勇気を誇示するように争って乗る。客室に余裕があっても屋根に乗る。バスでも同じこと、屋根や後ろのバンパーの上に乗る、入口のドアにつかまってステップに乗る。通過するトラックの上によじ登る。大人も子供もそういう行為をすることが、自己主張になるのです。見ている人に存在をアピールしているのです。そして、注目されていると思っているのです。流石に女性はやりませんから、男どもは男らしさを主張しているのです。ヒドイ勘違いをしていると私は思うのですが、彼らにとっては物心着いたころから、そういう光景を見ているし、小学校のころから習慣になっているのです。
それと同じように自己主張の場所が踏み切りです。遮断機がとっくに下りて間もなく列車が来るというぎりぎりのところを隙間があればバイクで線路上に侵入して通過するのです。ぎりぎりであればある程、自己満足が大きいのです。踏切と言えば、向こう側もこちら側も道一杯に人や車が広がってしまうのです。遮断機が下りたばかりは左側だけに列を作るのですが、踏切が下りてから、5分以内に列車が通過することは無い。それでないと、遮断機が下りかかっても、通過しようとする車が多いので、下ろす人がそれを見ながら、止めたり下ろしたりを繰り返して下ろすので、時間がかかる、そこで、どうしても、早めに下ろし始めなければならない。だからかどうか、自動の遮断機は無い、全部、人間が操作をする。そのうち、空いている右側にバイクも人も車も入ってくる。列車が通過する頃には、お互いの道全体に隙間が無くなるほど対面状態になる。
遮断機が上がるか上がらないかの瞬間、右側の方から隙間が広くなる方から、進みだす。方向はまっすぐではなくお互いに左側へ向かう、線路の中央で綺麗にお互いに左側半々に交差する。最初から左側でより長い時間待っていた連中はスタートが遅れる上に、右側からの連中が自分たちの前を塞ぐので、なお、遅れる。後から右側で待った人は先に踏切を通過して、もう、大満足なのです。そういう、日常的なちょっとしたことで争う、勝った負けたで、うれしくなったり、悔しかったりするのです。こんなことはどうでもいいことだと思うのだが、インドネシア人にとっては重要なことなのです。
モラルの向上などということで、地域同士が争うとか、ゴミ臭くない街並みを作ろう等とかで、争ってほしいものです。
故障車の目印はそこら辺の草木を取ってきてぶら下げること。インドネシア全土共通です。これならどこにでもある。
いきなり渋滞、レバラン休暇に入る頃に工事が終わって渋滞が無くなるでしょう。後、二か月の我慢です。
列車 踏切 得意げ
2010/07/02 16:45
私のWeb Site(ホームページ)にVideoを追加した。第一号はニュールンベルグの孫たちと彼女達のドイツのおばあさん。
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
http://www.flipclip.net/users/enplaind/ FlipClipを拝借した。
新規の金型を注文した。12日を完成目標に設定、その通りに進むことを願う。
昨日、サッカーでの試合ぶりに触れたが、インドネシアの人たちの競争とか戦いとか負けたくないという気持ちをぶっつける対象が、私には理解できない。なぜ、こんなことで争うの?なぜこんなことで熱くなるの?と言うことが多い。
例えば、車やバイクの運転です。他よりも早く前に進みたい、割込ませない、割込みたい、渋滞の時は対向車線を使ってでも前進をしたい。高速道路の料金所の行列でも争いは熾烈である。二列で来た一列にならざるを得ない時に、交互に入るという暗黙の了解は絶対にない。それぞれの車がその時に争いをする、割込ませたから、次は、自分が割込めるという保証はない、次の車は割込ませた車の後にぴったりついて割込ませないで自分が先に行こうとする。ですから、割込ませてやろうなどと考える人は、いない。もし、自分がもたもたして割込めないでいると、自分の後ろに着いている車に迷惑を掛ける。仕舞いには、クラクションを鳴らされる。
車線変更点滅ランプは全く意味がないし、逆効果になる、かえって、割り込みたいと言う意思があると割り込ませないという気持ちを奮い立たせることになる。
指示器を出さないで、ぶっつけても仕方がないと思うくらいに強引に割り込まなければならないし、割込ませないようにしなければならない。熾烈なバトルを繰り返すのです。私はすごすごと引き下がることが多いが、この頃は、右に割り込むときには窓を開けて、腕を出して、割り込む意思を示している。これは、効果が在るような気がしている。この例は車だけの競り合いだが、ここに一般道路にバイクが絡んでくるとなお複雑に主導権を争っての強引さが求められる。インドネシア人は日常的に、その競い合いをしているのです。小さいですね。こんなことで、争わなくてもいいのに、また、その争いがなければ、全体の流れがもっと早くなって、社会全体の流れが速くなる事を知らないのです。インドネシアの進歩の速度を遅くしていることを認識できないのです。
ちょっとでも隙間があれば、ただただ、入りこもうとするのです。いかにも、そうなることを分かっていて楽しんでいるように、交差点で、卍絡めになって、どうしようもなくなることは良くある。これなどは、そこで社会の進行が止まってしまうことを意識しないのです。
争うなら、技術や学問の世界で争ってほしいものです。日本人を見習う必要は無いが、意識の改革が必須です。根本的には、教育の問題です。教育者の教育を先ずしなければなりません。その教育者を育てなければなりません。政治家の意識も変えなければなりません。歴代大統領が全員その気になっても、バイクや車の一時停止や交互侵入の習慣を社会全体に浸透させるには100年はかかるでしょう。ということは、インドネシアでは交互侵入は永久に出来ないということです。
順番待ちができるような精神的余裕がないのです。
近所の朝市の雰囲気、どこから来るのか、人がわき出てくる。
競争 狭い 無駄
2010/07/01 18:01
日本のサッカーは惜しくもPK戦で負けましたが、良くやったと思います。海外にいると外国で検討しているスポーツチームや選手の成績が気になるものです。NHKはオリンピック等と同じで放映権の関係でストレスが増す。
インドネシアのサッカー人気は半端ではない。他に娯楽が少ないということもあってでしょうか、どこの田舎へ行っても、野っぱらのサッカーフィールドが在る。日本の草野球場より遥かに多い。子供は裸足でボールを追っかけている。海岸でも、泳いだり水遊びをしたりしている人を横目に、若者はボールを蹴っている。
今回のワールドカップもこの国は出場していないし、予選で勝てない理由も分かっているようだが、そんなことはどうでもいい、私より遥かに日本の事を気にしている人が多いし、日本の選手のことを良く知っている人が多い。私に日本のサッカーについて、聞いてきくる、今回のワールドカップの日本チームに関して私より遥かに興味があるように思う。話題にたねにしたがる。自宅で、家族で観戦ではなく、表通りの近所に店へ行って見る人が多い。表に向けてテレビを置いてある店が多いので、そういうことができるし、そういう観戦の方が好きなのでしょう。大変賑やかである。もっとも、ワールドカップの時期だけではない。いつでも、子供から大人の男たちはそういう場所へ集まってきて、暇つぶしをしている。場合によっては、女性はそういう場所を嫌がる、通りかかると、声を掛けられたり、からかわれたりするからである。
おもな都市をフランチャイズとするプロチームがいくつかありリーグ戦を戦っている。その戦いぶりは技術というより、最初から喧嘩腰、外国人選手も多いが、彼らは、喧嘩の助っ人になっている。とにかく、強引でなければ参加できないようだ。観客も熱しやすい狭い観覧席に一杯の観客、派手に応援合戦、何かあれば、いつでもとびだすぞという構え、実際、グランドへ乱入することに全く躊躇がない。グランドの状態も良くないし、観客の態度も良くない、選手の態度も良くない。この状態で国内だけで競争しても、外国で外国チームと競争では、勝てっこない。違う種類のゲームをしているのだから、インドネシアで強くても、外国へ行けば勝手が違う。試合では乱暴ができないので、ボールの奪い方を知らない選手のように萎縮してしまう。
ご存知バドミントンだけが唯一の交際的にトップクラスの選手を輩出している。バドミントンコートは屋外にも見られる。有名選手、スター選手はサッカー選手と違い、紳士淑女的である。たまにゴシップで騒がれることもあるが、スターならではのことである。この種目、中国の台頭で、最近は優勝まではいかなくなったが、底辺は広い、きっとまた、オリンピックで優勝するような選手が生まれるでしょう、そう願う、一つぐらい、オリンピックで金メダルを取って欲しいものです。
我が社の正門前の日常的風景。MM2100工場団地の出入り口の一か所が近いので、そとから、家畜が餌の雑草を求めてやってくる通り道になっている。
我が社をトヨタボウショク(旧ABA)の前から見た。大きな倉庫である、中身のラックは全部出してしまって、射出成型機を入れることになっているようです。写っていないが左側が元PT,KITAGAWAで、私の仲介で、既に我が社の所有になっている。
スポーツ 国際的 喧嘩腰
2010/06/30 19:43
ある日本人の方から、蘭の写真が額付きで送られてきました。ありがとうございます。左右対称の美しい姿をしています。大切に保管したいと思っています。私のブログやウェブサイトに興味をもたれた方で、インドネシアに長く住んでいて、想像するに、フォトグラファーというのでしょうか、かなり、写真に関してあらゆる知識を豊富に持っておられる方のようです。インドネシアの花に関しても大変深く広く知識を持っておられるようです。写真やカメラのこと、蘭等の花のこと、私は、受け答えができませんので、なるほどとお伺いするしかありません。
それに引き換え、あらゆる機会に写真を、適当にデジカメで撮っている私は、写真に関する知識はゼロです。時間を掛けてセッティングしてじっと構えて撮ることは、全くない。片手でいい加減にシャッターを押しているだけです。なになにを主なテーマにするとか、対象物をなにに絞るとか、ポリシーも全然ありません。いい加減なのです。ラフレシアも何箇所かでうつしていますが、単に子供の頃、植物図鑑で世界で一番大きな花として紹介されているのを見て、大人になったらいつかその場所へ行ってみて見たいと思っていたので、会えてうれしいと言うだけで、花について深く追求しようとか、知識を多く持とうとか、という気は全くない。ただ、求めなくても、話しかけてくれる方がいるので、雑知識として、なにも知らない人より、若干知っているくらいなものです。専門は、40年以上続けている仕事ですから。
朝は大変忙しい。8:00に朝礼、08:30押出のミーティング09:00日本人スタッフのミーティング、ということで朝の約一時間半は自分の仕事ができないし、会社外の人との話し、電話の応対も出来ない。しかし、Offにしておいては失礼になると思い、Offにはしていな%8
2010/06/29 21:18
多忙な一日 よせばいいのに、要望にこたえて、約束をしてしまった。仕事の手伝いの約束です。4〜5カ月先の話ですが、今から話し合いを始めないと客先の要望にこたえることができないので、早いうちに機会を作らなければならないと思ってはいた。
押出の営業と射出の営業は違うし、一緒に行っても、どちらかの話をしているときにどちらかは黙っていなければならない。押出の説明に射出の人に口を挟まれると邪魔なので、私も、口を挟まないようにしている。それが、分からない人が射出の営業をしても仕方がないし、無駄な時間が多いので、今後は、射出の人が行くと言うなら、私は遠慮することにする。それに、射出の営業は、今、しても、海の物とも山のものとも分からないのだから、客先も、もっとはっきりしてから来てよという態度をはっきり表す人もいる。
ブキットインダーやスルヤチプタへ営業に行った折、チカランバラッのはるか手前から、渋滞になっていた、ここは道路工事中で何カ月も前から渋滞は日常的だった。例によって路肩も車が一杯で緊急車両は中央寄りの隙間を通過するのが習慣になっている。今日もどうだが、白バイが露払いをし、道を開けさせる、その後にパトカーが警報を鳴らしながら来る、その後に救急車(死体を運搬)、その後、関係者の車が点滅ランプで10台以上付いてくる、その後ろに関係ない車がやはりハザードランプを点灯して便乗してくる。私は、そういう車の邪魔をするのが常で、明らかに便乗と分かるので、右へ寄って邪魔をする、そしてわざと速度を落として、渋滞の状態に戻してやる。
処で、渋滞の中、のろのろと進んで、チカランバラッの導入道の手前あたりから、渋滞が解消する、これも、決まっている。渋滞を抜ければガラガラ状態になるので、約束の時間に間に合わせるために速度を100Km以上に上げる。5kmほど進むと、先ほど渋滞の車を押しのけ、けたたましく強引に抜いて行った緊急車両が目に入ってきた。追い越していないで、抜かれるばかりなのに相変わらず中央の追い越し車線を占拠している、速度は80Km以下である。瞬く間に走行車線側から、私も抜き去る。
どうも変ですよね。さっき、大騒ぎで抜いて行ったのは何のためだったのでしょうか。渋滞の中で一緒に走っていても同じことだと思う。急いでいないと思うが?緊急車両ではないのでは?約束通りの時間に着かなければならない私の方が緊急車両?
これが、今日初めてではない、以前にも何回もこういうことがあった。緊急車両なら、渋滞から抜けて、フリーになった時には120Kmくらいでぶっ飛ばしてもらいたい。その時もパプーパプーと鳴らせばいい。
静岡は鞠子の宿、とろろ汁で有名、にある私の隠居所の居間で孫たち。困ったときの孫の写真
大いに変 のろのろ 緊急車両
2010/06/28 19:45
他に誰もいない工場の端っこ、一号機で、機械装置とにらめっこ。充実した一日でした。
一人が良い。他人に気を使わないで済むから、気が楽である。
40代半ば、正月五日仕事始めの日、従業員は定時に皆帰って、私一人で、試作をしていて、18:00過ぎでした。原料を交換するために押出機の上に乗って、ホッパーから原料を掻きだし、空にした後、押出機の上から飛び降りた。その時、片足がなにかに引っ掛かり1.3mくらいの高さから大股開きで落ちる羽目になった。先に落ちた左足がボキっと音がした。一瞬、折れた、と、思った。
見回しても誰もいないことは分っていたが、誰かいてくれたらと思って、見回した。やはり誰もいなかった。どうしよう。いつかどこかに書いたと思うが、タクシーを呼んで当局医の処へ行って、骨折(細い方のヒ骨)の手当てをして、タクシーでまた会社へ帰って、車の運転をして家に帰った、翌日流石に休んだが、翌々日は出勤し、いつものように仕事をした。石膏は一週間後に取ってもらって、ブリキの添え板だけにしてもらった。いうのも、腫れがすいて石膏と足が擦れ折れた時より、擦れがいたかった。二週間後の自分で添え板を取ってしまった。医者へ行ったのは、骨折当日と石膏から添え板に替えた時の二回きりでした。
そんなことで、私自身は一人で仕事をする方が、他人と一緒より、効率が上がるし、他人に手伝ってもらうと、手伝い方が、私には、気にいらないことが多い、何か、手伝いましょうかと、気が効く人は言ってくれますが、ありがとう、いいよ、一人でできるから、と言いますが、内心は、手伝ってもらっても、手伝いにならないでしょう、かえって、邪魔だと思う。
従業員には一人で仕事をさせることは絶対しません。必ず二人以上で残業などはさせます。現場の仕事は特に念を押します。責任の問題と言うより、なにかあったときに早期に対処しなければなりませんから。
と言う私も、一人で住んではいない、マリアさんがいる。やはり、何かが私の身に起きた時に出来るだけ、他人に迷惑をかけたくないし、早期発見をしてもらうためである。
しかし、仕事は別です。私に一番の望みは、家族には申し訳ないが、押出機の傍で、眠るようにSurga(Nirwana)へ行けたらいいなと思う
http://www.k4.dion.ne.jp/~enplaind/
今日の昼食、MM2100の外のカキリマからブンクスで持ち帰ったソプイガ(Sop Iga牛の肩甲骨部の肉というか筋肉)食前食後ですが、骨が大部分で肉が張り付いている、肉だと思ってかぶりつくとそこも骨だった、ガキッという感じ、ソプブントゥットと味付け、味は同じ、おいしいことはおいしい。ご飯込みで、100円(1万Rp)です。安いでしょ。ご飯は食べきれないほど沢山、油紙に包まれている。ソプはホリエチ袋で持ってきたものをドンブリに入れ替えた。
一人 自由 思う通り
2010/06/27 20:41
日本では部分月食でしょうね。インドネシアは皆既月食、18;00時過ぎ高速道路の西に向かった、間もなくま正面の月が欠け始め10分ちょっとでかき消され、30分過ぎには元の満月に戻った。久しぶりの天体ショーを見ましたが、あっという間の出来ごとだった。家に着いた時、皆さん、家の近所の人たちも外へ出て、眺めていた。インドネシア人は初めて見たという人がほとんど、感激をしていた。
今日も懲りずに出勤していた。床の色塗り、以前、緑一色に塗って、通路とその他のエリアを分ける白線を引いたが、今回は、通路を赤でベタ塗りをした。土曜日オーバータイムである。
私の仕事は、様々な試作である。アシスタントはいるが、任せきりで知らん顔をしているわけにもいかないので、どうしても、一緒にやってやらなければならない。今回は、三つ重なってしまったので、明日、日曜も仕事である。
この二日間、ゴルフを入れないで、パンガンダランへ大分久しぶりに行ってみようかという気になって、ラシッド君にラフレシアの様子をチェックしておいてほしいと頼んであって、昨日、チャガールアラムへ入ってくれていた。突然のチャンセルで大変申し訳ないことをした。8月に入ってゆっくり出かけたいと思っている。今回は、残念でした。
ところで、肝心な試作ですが、今日のところは、今までの最高域から脱していない、もっと、上を狙っているのでなお別の方法を加えて試作を続けなければならない。明日もトライの予定。土日は金型屋へ持って行っての修正ができないので、修正を自分でできる範囲にとどまるが、修正を必要な個所をいくつか記録しておいて、月曜日に修正し、より、求める物にしてゆくというやり方である。
会社の近所にフードコートがある、インドネシア料理だけである。歩いて10分もかからない。ソトアヤムです、これとご飯を食べる。80円(8000Rp)です。日本人でここで食べたことがる人は一年に10人以下だと思う。
Bulan 中止 オーバータイム 月蝕
2010/06/26 20:56
1996年8月6人の北川社員と私が、赴任して、まだ、工場の影も形もない敷地の片隅の小屋の一角を借りて、準備のためのミーティングをした。それから、14年、今月いっぱいで、北川の人は完全に去る。この顛末をインドネシアにいて、つぶさに見てきた私としては、非常に感慨深いものが在る。そして、間もなく、仕事の場ではないが、同じ会社の分工場として、その、改築や衣替えのお手伝いをすることになると思う。来月初めから、動き出すでしょう。長くいれば色々な巡り合わせができるもので、追い出された場所に戻るという運命的な状況に遭遇するのがいよいよ近くなった。去るものに会うのは私の方は一向に構わないが、去るものは私の顔を見たくないと思う。そこは、承知している。
PT.KITAGAWAの後工場から、元社長がいよいよ、今月末で去ることになるでしょう。なにもしなかった四代目の社長さんは、最期の一年、従業員が居なくなった会社でいったい何をしていたのでしょうか。釣りだけ、それも、自分がセッティングするのではなく、他の人が全部お膳立てした同好会に参加するだけ、で、他にすることがない、あ、もう一つ合唱団に参加していたようです。釣りと合唱で一年過ごす優雅さは心地が良かったでしょう。仕事はなにもすることがない。私なら、我慢ができずに、会社を辞めて、自分で何かしていると思う。我慢をしているのではないのでしょうね、なにもしないで、じっとしていることが許されて、きっと、満足していたのでしょう。
経理のことも、税金のこともなにもかもコンサルタントに丸投げでいいのですから、いつになるか分からないが、時間が過ぎれば、会社を閉じることができるし、買ってくれる会社は私が本社に紹介してあったし、買う会社は、空く時期を待っていたし、このことでも、元社長さん、何もすることはなかった。自分では出来るわけがないことを、回りが全部お膳立てしてくれてあった。
PT.KITAGAWA創業時代から、勤めていた従業員の再就職について、殆ど全員を私が面倒みた。苛めて、放り出したはずの人間が、解散して職が無くなった元従業員の再就職先の面倒を見たのです。ご本人、それも気に入らなくて、辞させた従業員の行動について怒っているという。何の権利が在って彼らの行動を束縛しようとするのでしょうか。元従業員はその怒りに首をかしげている。当然である。
というわけで、PT.KITAGAWAの後に入る会社の従業員と言うか、リーダーとして入社する元KITAGAWAの人もいます。これは、オリエンタルキョーワの元従業員が、再雇用されることと同じことです。
私の仕事を引き継いでやってもらう人が、多分、9月頃に来てくれることになったようで、なんとなく、ホッとしている。この仕事と、いま、日本でやっている仕事とが同じということは無いし、あらゆる面で、条件が違うので、それに、順応するなり、対応するなりできる、腕と柔軟な考えを持っている人だと、なおいいと思っている。会長推薦とのこと、間違いないと思う。
新しく導入するナイフ式自動カッター付き引取機と、なぜか、高速道路に大きな袋を担いだ男が現れた。良くではないがたまにあることです。こちらの高速道路をまたいだりくぐったりする道がほとんど見当たらない。完全に地域が分断されている。だから、当り前のように歩いて横断をする。高速道に垣根や塀はない、誰もが自由に入ることができる。
発つ鳥 終始 証人


